日本初のDolby Atmos対応ダビング・ステージ「東映DUB1」 - Synthax Japan Inc. [シンタックスジャパン]
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導入事例
日本初のDolby Atmos対応ダビング・ステージ「東映DUB1」。  〜 DUB1が目指した音とその音響設計 〜 中原雅考(ソナ)

2013年10月、東映東京撮影所内に新たなダビング・ステージ「DUB1」が誕生しました。 DUB1の設計にあたり、プロジェクト・チームが目指したのは、現時点での最高では無く一歩先でした。一歩先という言葉には、日本初のDolby Atmos対応ということだけでなく、正確な音響再生を実現するための色々な技術的な試みが含まれています。

映画の音響制作の世界には、多くの先哲の知恵や努力から生み出された素晴らしい技術や伝統があります。それらのおかげで、現在では素晴らしいサラウンド音響とともに映画を楽しむことが出来ます。
一方、音響再生環境という観点からは、従来の環境にはいくつかの制約が見受けられます。それが、映画の音らしさをつくり出すスパイスの一つであるという考えもあると思います。しかしその一方で、「音響表現の幅を制約するような障害はなるべく取り除きたい」との思いもあり、DUB1の設計に臨みました。

スタジオ全景
スタジオ全景

サラウンドはサラウンドらしく,センターはセンターらしく

一般的に映画の再生システムは、3種類の異なるスピーカで構成されます。「スクリーン・スピーカ(L, C, R)」「サラウンド・スピーカ」「サブウーファ(LFE)」です。これらは、お互いに異なる構造のため、同時に同じ音を再生すると問題が生じます。その問題は、スピーカ・ユニットではなくクロスオーバ・ネットワーク(LFEではLPF)に起因するものがほとんどです。多くのスピーカ・システムは、IIR型(アナログタイプ)のフィルタを用いていますので、クロスオーバ周波数の前後で位相特性が逆転する仕様を多く見受けます。そのようなシステムで同時に同じ音を異なるスピーカから再生すると、位相干渉により一部の周波数帯域が打ち消し合って再生されないといった問題が生じます。

換言すれば、従来の映画の再生システムの多くは、「スクリーン・スピーカ(L, C, R)」と「サラウンド・スピーカ」から同じ音を同時に再生する、すなわち「スクリーン・チャンネル(L, C, R)」と「サラウンド・チャンネル」とでファンタム定位をつくり出そうとすると、きちんとした周波数特性が再現されない可能性の高いシステムだということになります。

図同じクロスオーバをもつスピーカ同士の合算特性

同じクロスオーバをもつスピーカ同士の合算特性

異なるクロスオーバをもつスピーカ同士の合算特性

異なるクロスオーバをもつスピーカ同士の合算特性


このような障害を回避しながら音響制作を行うためには、「スクリーン・チャンネル(L, C, R)」と「サラウンド・チャンネル」それぞれに別の役割を持たせ、常に異なるキャラクターの音を再生することです。サラウンドはサラウンドにふさわしい音を、センターはセンターにふさわしい音といった具合にチャンネルの間に壁を設けることです。すなわち、チャンネル相関の低い音づくりを行う、これが映画の音づくりの一つの流儀ともいえるかもしれません。

一方、音楽制作では、サラウンドであっても全てのチャンネルに同じスピーカを使用することが一般的なため、全てのチャンネル間でファンタム定位の表現が可能です(LFEを除く)。制作した音楽を映画の再生環境で再生すると違う音になってしまったという話しをしばしば伺いますが、音楽のようなチャンネル相関の高い音素材の再生は、従来の映画の再生システムでは得意ではないのかもしれません。

映画はOKだが音楽はNGといったような再生システムは、トランスデューサーとしての音響機器という観点からはあまり好ましいことでは無いと思います。音響的に透明であり素材を選ばないという方向が、制作環境としての音響再生の目指す方向だと考えます。実際にはなかなか難しいことだと思いますが、DUB1ではこのようなニュートラルで透明な再生環境の構築をまずは設計の基本とすることにしました。

チャンネルの壁

映画の再生環境は複数のサラウンド・スピーカで構築されますが、Dolby Atmosではこれらのサラウンド・スピーカを1台ずつ個別に駆動し、それらにスクリーン・スピーカ(L, C, R)も加えて全方向の音像定位をつくり出します。すなわち、設置されている全てのスピーカ間でファンタム定位がつくり出される可能性のあるシステムです(LFEを除く)。また、サラウンド・スピーカの1台1台に対して、スクリーン・スピーカ(L, C, R)と同じ、周波数帯域と再生パワーが(基本的には)要求されるシステムです。

このようなチャンネルの壁が取り払われたシステムにより、映画の音作りの自由度は大きく拡張されたのではないかと思います。例えば、「ゼロ・グラビティー」などは分かりやすい例だと思いますが、ストーリ・テラーとしてのダイアログが、従来の概念であるセンター・チャンネルから抜け出して自由に空間上に配置されています。その賛否はあるかもしれませんが、再生環境の進歩が音響表現の壁を取り払っている良い例だと思います。

再生システムが音響的に透明であるためには、制作者にチャンネルによる制約を意識させない性能が必要です。そのためには、全てのスピーカが、広帯域かつ十分な再生パワーというだけではなく、お互いに位相干渉のない性能を有していることが理想的です。これらの条件は、全てのチャンネルに同じフルレンジスピーカを使用すると実現できますが、映画の再生環境の場合、様々な制約から、サラウンド・スピーカにスクリーン・スピーカ(L, C, R)と同じものを採用することは困難です。

そこでDUB1では、まずは全てのスピーカに対して、「クロスオーバ・ネットワークの仕様を統一して位相干渉を排除する」「同じウーファ・ドライバを使用して低域再生能力を同一とする」の二本柱を基本として、スピーカの選定に入りました。

過去を引きずるべきか

色々なシネマ・スピーカを調査したところ、上記の二本柱を満足する既製品は無いということが判明しましたので、我々の設計目標を達成するためには、既製品に対して何らかの改造を検討する必要があるということになりました。

改造の方針としては、サラウンド・スピーカにスクリーン・スピーカ(L, C, R)と同じ性能のウーファ・ドライバを追加し3ウェイとして、クロスオーバ・ネットワークも統一するということになりました。この時は、まだDolby Atmosが発表される以前の時期でしたので、一般の映画館の環境から逸脱したような音響性能をダビング・ステージが有していても意味が無いのではないかとの観点から、従来の狭帯域なサラウンド・スピーカによる再生環境との互換性を残したシステムにするか否か、という点が議論になりました。

そして、その結論が保留されながらもプロジェクトが進行していくうちに、ついにDolby Atmosが登場です。Dolby Atmosでは、サラウンドも含めた全てのスピーカに対してフルレンジ再生が要求されます。このことから、今後は映画の再生環境においても全てのスピーカに対して同一の性能が要求されるようになると確信し、従来のサラウンドの狭帯域再生に関しては踏襲せず、サラウンド・スピーカに関してもフルレンジの一本化ということで方針が決定しました。

そしてその後幾度かの比較試聴実験を経て、スピーカに関しては既製品の改造ではなく、新たにオリジナルを製作するということに決まりました。

物理的な限界

スピーカの具体的な設計を進める中で、サラウンド・スピーカをスクリーン・スピーカと同じ3ウェイにすることは困難という結論に至りました。サラウンド・スピーカを3ウェイにすると、重量やシステム規模など多くの問題が発生するためであり、結論としてサラウンド・スピーカに関しては2ウェイとなりました。

従って、このままでは「3ウェイのスクリーン・スピーカ(L, C, R)」と「2ウェイのサラウンド・スピーカ」とで、お互いに間に位相干渉の生じてしまう再生システムということになります。

そこで、この問題を解消するために導入されたのが、直線位相FIRフィルタによるクロスオーバ・ネットワークの構築です。FIRフィルタは、位相変化なく濾波可能なデジタル・フィルタです。そのため、クロスオーバ周波数の前後で位相の変化がありません。すなわち、どのようなクロスオーバ周波数の組み合わせでも全帯域において位相を「+」とできるフィルタです。これにより、2ウェイや3ウェイなど周波数特性上の違いを吸収することができます。

さらに、 DUB1では、LFEに対するLPFに関しても、直線位相FIRフィルタを用いています。従来のIIR型のLPFフィルタでは、遮断周波数付近で位相変化が生じるため、メイン・チャンネルと同時に同じ低音を再生した場合、かならず落ち込む帯域が生じてしまいます。これでは、LFEを付加することで逆に失ってしまう低域があるということになります。

これを回避するためには、LFEにメイン・チャンネルと同じ低域成分を用いない、すなわちLFEに他のチャンネルの低域を使い回さないといった音響制作上の工夫が必要になります。このような独立性のあるLFEのサウンド・デザインは映画音響の特徴の一つとも言えますが、音響再生システムとしては改良の余地のある事項だと考えられます。この点に関しても、直線位相FIRフィルタによるLPFが問題を解決してくれます。

IIRフィルタの位相干渉(3ウェイ+2ウェイ)

IIRフィルタの位相干渉(3ウェイ+2ウェイ)

FIRフィルタの直線位相(3ウェイ+2ウェイ)

FIRフィルタの直線位相(3ウェイ+2ウェイ)


DUB1では、FIRフィルタのクロスオーバに関しては、LAKEのLM26を用いています。LAKEを選択した理由の一つは、遅延の少なさです。FIRフィルタの欠点一つとして遅延が大きいことが上げられますが、リアルタイムの音響作業が要求される制作スタジオでは、モニタの遅延は極力少なくする必要があります。最近では、PCと オーディオI/Fの組み合わせでFIRフィルタやEQ処理などを行うような製品もありますが、そのような商品はPCと オーディオI/F間のバッファ処理により大きな遅延が生じてしまいます。LAKE LM26は、ハードウェアベースの製品であり、フィルタのアルゴリズムも優秀なので、FIRフィルタの処理としては遅延の少ない製品です。

LAKE LM26
LAKE LM26

カスタム・スピーカ

上述のように、DUB1では、直線位相FIRフィルタによるクロスオーバとLPFを用いることで、LFEを含めた全てのチャンネル間で位相干渉の生じない再生環境を構築しています。

そして、スピーカ・ドライバに関しては、サブウーファを含む全てのチャンネルに対して同じウーファ・ドライバを用いているため、全チャンネルで20Hz〜の広帯域な再生能力を実現しています。そのウーファ・ドライバですが、20Hzまでの低域再生能力を確保するため、シネマやSR用途のものではなく、英VOLT社のスタジオ・モニタ用のものを使用しています。

ツイータに関しても、スクリーン・スピーカ(L, C, R)とサラウンド・スピーカとでは同じものを採用しています。こちらは、数種類のドライバの試聴及び測定結果から、米JBL社のコンプレッション・ドライバを採用しています。

以上のVOLT社のウーファ・ドライバとJBL社のコンプレッション・ドライバの組み合わせだけでもフルレンジ再生が可能ですが、スクリーン・スピーカに関しては、ダイアログ帯域を独立したドライバで再生させるために、伊RCF社のスコーカ・ドライバを追加し、3ウェイ構成としています。

今回は、以上のように、全てのスピーカをフル・カスタム仕様で製作しましたが、それは音質の好みといったような観点からではなく、我々の求める物理的なスペックを満足する製品が市場に無かったからです。

スクリーン・スピーカ 写真1(L/C/R, LFE)

スクリーン・スピーカ 写真1(L/C/R, LFE)

スクリーン・スピーカ 写真2(L/C/R, LFE)

スクリーン・スピーカ 写真2(L/C/R, LFE)

スピーカ(Surround)

スピーカ(Surround)


広帯域が要求する室内音響性能

スピーカの再生能力が全チャンネル広帯域化されるということは、部屋の色々な場所から低域再生が行われると言うことを意味します。スピーカの低域伝送特性が、部屋の音響と密接に関係していることは、ご周知のことだと思います。従って、全チャンネルの最終的な広帯域化は、部屋の低域設計なくしては実現できないということになります。
室内音響的には、スピーカからリスニング・ポイントまでの低域伝送特性は、「室形状」「スピーカ位置」「リスニング・ポイントの位置」「吸音」といった4種類の要素で決定します。

最近では、FDTD、BEM、FEMなど様々な波動音響シミュレーション・ツールが利用でき、それらを用いると低域特性の予測が可能です。しかし、これらのツールが与えてくれるものは結果のみであり、部屋のどのような要素が低域特性のどの部分にどのような影響を与えているかに関しては教えてくれません。そのため、色々な条件を変更しては計算をやり直して、といった試行錯誤の繰り返しが要求されてしまいます。

以前はそのようなツールを使用して音響設計を行っていましたが、そのうちにそのような試行錯誤にたよる手法に疑問を持つようになりました。そこで近年は、低域特性をその構成要素である部屋のモードに分解し、原因と結果の関係を明らかにすることで低域対策を検討するといった、「モード合成法」を活用した音響設計を行っています。この「モード合成法」は、1980年初頭には既に確立されていた古典的な音響理論です。

さて、DUB1プロジェクトは、従来は試写室であった部屋を改修するプロジェクトですので、室内音響の4要素のうち「室形状」に関しては大幅な変更はできません。また、室形状の変更ができないということから、「スピーカ位置」「リスニング・ポイントの位置」に関しても、必然的にほぼ一意的に決まってしまいます。このことから、「吸音」対策が、低域特性の鍵を握るということになります。

DUB1では、壁際で低域を効率良く吸音するために膜による吸音手法を多用しています。定在波など干渉音場における低域は、壁際では音圧が高くなる代わりに音の粒子はほとんど動きません。グラスウール等の多孔質材は、粒子を吸収して音の運動エネルギーを吸収するタイプの吸音材ですので、音の粒子が活発に動いていない壁際での低域吸音は苦手です。壁際で低域を吸音するためには、膜のように音圧を受けて動くことで位置エネルギーを吸収するタイプの吸音材が必要です。

まとめると、定在波等の干渉音場における低域を吸音するためには、グラスウールなどの吸音材は音の小さな場所に設置、膜などを利用した吸音材は音の大きな場所に設置しなければならないということになります。
DUB1で用いている壁際での膜を利用した適切な吸音は、低域特性を構成するモードのQを緩やかすることができるため、低域特性の平坦化に大きく貢献しています。

尚、サブウーファに関しては、設置場所の自由度が高いため「吸音」だけではなく、「スピーカ位置」による低域特性の制御が可能です。DUB1では、4台のサブウーファにより計16台のウーファ・ドライバをスクリーン下部にインライン設置していますが、これは、モード解析による部屋の低域特性とのマッチングの検証の結果決定した配置であり、ラインアレイを構築しようという意図からではありません。

モード合成法によるサブウーファの特性検証モード合成法によるサブウーファの特性検証

以上が、モード解析を用いた低域特性の設計となりますが、低域特性の制御にはまだその先があります。

スタジオで音響処理が可能な場所は、壁と天井に限られます。従って、最後に、音響処理が不可能な「床」という存在が大きな影響をもって残ります。床は、一般的に、低域における強烈な反射面として作用し、 100Hz〜300Hzに大きなディップを与えてる音響障害となります(コンソールが設置されている場合は、周波数が約0.5〜0.8倍低い帯域にシフトします)。

この障害に対して、DUB1では、床反射用のキャンセル・パネルをリスニング・ポイントとスクリーンの間に設置しています。反射パネルは、事前の予測計算結果をもとに設計されていますが、実測結果からも250Hz近辺のディップが3dB以上改善されることが確認できました。

以上のように、室内音響的に低域の周波数特性を設計・制御することで、DUB1では低域に於いてもEQ補正の少ないモニタ環境を実現しています。

床反射キャンセル板
床反射キャンセル板

スタジオに響きは必要か

中高域の室内音響設計に関しては、周波数領域での設計ではなく時間領域での設計作業となります。
スピーカから再生された音を色づけなく聞くには、反射音が完全に無い空間、すなわち無響室などの自由音場で再生しなければなりません。一方で、無響室のようなデッドな空間が、スタジオ等の音響制作環境には相応しく無いということは周知の通りです。その理由は色々とありますが、一つとしては、最終的に再生される空間(エンドユーザの環境)が無響状態では無いということが挙げられます。しかし一方で、不用意な反射音は、オーディオ再生に対して様々な障害をもたらします。

以上より、スタジオには、ただの反射音ではなく、音響的な工夫を凝らした反射音を適切な量を検討して付加するといった設計が必要になるということになります。尚、どのような反射音がスタジオのモニタ環境としては最良かという課題に対しては、未だ明確な答えは無く、Non-Environment、Reflection Free Zone、Reflection Rich Zone、Ambechoic等、様々なスタジオの音響設計者が様々な反射音モデルを提案しているのが現状です。

今回DUB1では、全て拡散、全て吸音などという均一な音響処理ではなく、チャンネルごとに役割を考えた反射音付加を行っています。具体的には、スクリーン・チャンネルに関しては、セパレーションと音像定位を優先して反射音を少なめに、サラウンド・チャンネルに関しては、アレイ(ベッズ)再生時の音響干渉の緩和のために多めの反射音を付加しています。

反射音に関しては、QRD型のディフューザとMLSパネルを組み合わせた拡散パネルにより、直接音との相関性を緩和した拡散反射波をつくり出しています。これにより、周波数特性に影響の少ない反射音の付加が可能となっています。さらにDUB1では、MLSパネルの設置箇所に応じて異なる音響処理がそれらの開口部に施されています。

以上のような処理によりDUB1では、拡散と吸音の割合や反射音の量が再生チャンネル別に細かく整えられています。その結果、適度な反射音が付加されながらも、精密な音像定位と安定した周波数特性、そして空間的に広がりのあるサラウンド再生環境が、DUB1では実現されています。

ディフューザパネル(壁) 天井とは異なる開口処理が施してある

ディフューザパネル(壁)
天井とは異なる開口処理が施してある

ディフューザパネル(天井) 壁とは異なる開口処理が施してある

ディフューザパネル(天井)
壁とは異なる開口処理が施してある


EQでXカーブに合わせるのがモニタ調整か

全てのインストール作業が完了すると、最終的にモニタ調整、すなわち、各スピーカのクロスオーバ、ディレイ、レベル、EQ等の調整を行うことになります。

DUB1では、まず始めに全てのスピーカの調整をLAKE LM26を使用して行いました。

次に、その調整されたモニタ特性に対し、Dolby本社の技術者と共同で、Atmos用の調整を行いました。Dolby Atmosのモニタ調整は、Dolby RMUに内蔵のEQやアッテネータを用いて行います。EQは、Dolby RMUを用いた測定結果をもとにした自動調整のため、ターゲット・カーブの設定やマイクの設置位置などが重要なキーポイントとなります。

Dolby本社の技術者との共同作業の中で、一番安心したことは、我々の調整の考え方がDolbyの考え方とほぼ同じであったということです。例えば、「Xカーブに対する考え方」や「空間平均特性の活用」がそれに相当します。

まずにXカーブについてですが、 SMPTE 202Mの500席用のカーブをターゲットに、EQで高域や低域をロールオフして周波数特性をかたち作る調整手法をしばしば見受けます。しかしながら、高域のロールオフに関しては、部屋の大きさによっても異なることが、SMPTE 202MのAppendixには記されています。Appendixでは、小さな部屋ではフラットに近く、大きな部屋では大きくロールオフする特性が劇場の座席数(30, 150, 500, 1000, 1500, 2000)に応じて規定されています。これは、部屋の音響特性の違いが高域のロールオフ特性の違いを与えているということを示唆しているのであり、部屋の大きさによりスピーカ自身の高域特性を変化させなければならないということではありません(昔のアカデミー・カーブはスピーカの高域補正を意味したものでしたが)。

換言すると、スピーカの出音がフラットであれば、適切に音響処置された部屋では適度に高域がロールオフされた伝送特性になるということです。ロールオフの程度に関しては、小さな部屋では少なく、大きな部屋では大きいということになります。このようにロールオフの度合いは、部屋の大きさによって変わるため、どのような大きさの部屋でも必ずSMPTE 202Mの500席用のカーブにぴったりと合わせなければいけないということにはなりません。 次に、人間の耳には、時間分解能があります。つまり、スピーカから再生された直接音と部屋の響きを分離して聞く能力があります。例えば、部屋がライブやデッドなどの音響条件によらず「〇〇社のスピーカの音だ」と再生音と響きとを分離して聞き分ける経験は、多くの方がお持ちだと思います。一方、測定器は、部屋の響きも直接音も一緒に処理するため、人間にはフラットに聞こえている音もハイ落ちの特性として表示します。その傾向は、響きの多い大きい部屋ほど顕著になります。そのような人間の聞こえと違う特性で測定している測定結果をリファレンスとして、スピーカの出音をフラットに調整するためのリファレンスがXカーブだとも言えます。すなわち、スピーカの再生特性がフラットで、部屋の音響条件が映画の再生空間として適切であれば、測定結果は自然と部屋の大きさに応じたXカーブの許容範囲に特性が収まっているということになります。従って、500席用のXカーブの平均値と同じ特性になっていれば、どのような空間でも同じ音で聞こえるというのは間違った解釈だということになります。部屋の大きさに応じたXカーブを使用し、その平均値を目標とするのではなく、上限と下限の幅を上手に利用して最低限のEQ処理を検討することが、まずは音響的には正解だということになります。しばしば小規模スタジオで、映画の音響制作のためには高域を落としたEQをモニタに適用して作業しなければならないと言われることがありますが、これに関しても上記の理由からは間違った解釈と考えられます。

さて、DUB1におけるDolby本社の技術者との調整作業ですが、一般に用いられることの多い500席用のXカーブではなく、DUB1の大きさに合わせて150席用のXカーブをリファレンスとして参照しています(500席用のXカーブよりも高域がフラットに近い特性)。そして、測定の結果、EQ無しの状態で、そのカーブの適用範囲内に特性が納まっていることが確認できたため、 Xカーブ用のEQなどといった処置は施していません。

次にXカーブにおける低域のロールオフですが、部屋の音響特性としてそのようなロールオフが得られる可能性はありますが、室内音響的には高域と違い極端なロールオフにはならないと思われます。

この点に関してDolby本社の技術者の見解は、「Xカーブで規定されているのは40Hzまでであり、それ以下の周波数まで勝手に延長解釈して極端な低域のロールオフ特性をEQでつくり出してしまうのは間違っている。Xカーブの規定を上限と下限の範囲として参照すると、40Hzで-9dB〜+1dBということになるため、低域に関してはロールオフさせなくてもXカーブの規定の範囲となる」とのことでした。

以上のDolby社の見解により、 DUB1におけるDolby Atmos再生時の低域に関しては、ロールオフしないフラットな特性となっています。

二番目の例として、音響測定手法についてですが、EQ補正に対しては、我々は従来より複数(5本)のマイクを用いて、リスニング・ポイントだけではなくその周辺の空間平均特性も同時に評価しながら行ってきました。

この点においては、Dolby AtmosにおけるEQ調整も同様であり、5〜8本のマイクを用いて空間平均としての特性を測定し、オーバーEQを抑制したAuto EQ調整を行います。EQ調整とは、特定の場所での特性をある限定されたカーブにぴったりと合わせるといった作業ではなく、空間的にも特性的にも幅をもって調整すると言うことを改めてDolby AtmosのEQ調整により再確認できたような気がします。

モニタ調整に関しては、我々とDolbyの手法や考え方が近かったということも功を奏してか、最終的にはDUB1のスクリーン・チャンネル(L, C, R)とLFE(サブウーファ)に対しては、 我々の調整したLAKE LM26によるハウスEQをそのまま流用しており、Dolby RMUでのEQ調整は行っていません。尚、サラウンド・チャンネルに関しては、ベッズ再生時のルーティング処理やそれにともなうEQ補正といった処理が必要になりますので、Dolby RMUでのEQ処理も行う仕様となっています。

RMU
RMU
Dolby本社の技術者によるモニタ調整・測定(複数のマイクを用いて空間平均特性を利用)
Dolby本社の技術者によるモニタ調整・測定(複数のマイクを用いて空間平均特性を利用)

DUB1のプロジェクトは、 Dolby Atmosの情報が公開される前から始まっていました。

プロジェクトが始まったのが2011年の8月、それから1年経た2012年9月にDUB1へのDolby Atmos導入の検討が始まり、更に1年後の2013年10月に、DUB1は日本初のDolby Atmos対応のダビング・ステージとしてオープンしました。

本格的なDolby Atmos導入の検討が始まった際に確信したことは、DUB1のプロジェクト・チームが考えていたダビング・ステージのコンセプトは間違っていなかったということです。実際にDolby Atmosの導入が決定した際に施したDUB1の仕様変更事項は、サラウンド・スピーカの追加程度です。DUB1はその前から、フルレンジ再生等Dolby Atmosが要求する他の技術要件はすでに満足した仕様で設計が行われていました。Dolby本社の技術者曰く、「最初にDUB1の仕様を聞いたときは、Dolby Atmosのコンセプト・ルーム案なのかと思い、本当に建設しようとしている部屋の仕様だとは思わなかった」とのことです。

Xカーブを始め映画の再生環境に対しては、色々な考え方があると思います。DUB1の考え方が正解だと簡単に結論づけることはできないと思いますが、Dolby社からリリースされたAtmosという次世代とDUB1チームが考えていた次世代が、これほどまでぴったり重なったということは、大変嬉しい喜びです。今後の劇場再生空間が、チャンネルの壁だけではなく、コンテンツの壁までもなくなってゆく将来を楽しみにしたいと思います。

最後になりましたが、東映様、報映産業様、トライテック様、イースタンサウンドファクトリー様、コンチネンタルファーイースト様、Dolby様、ソナの皆さんに感謝を申し上げたいと思います。

RME とDUB1

映画の再生環境もDolby Atmosの時代になって、サラウンド・スピーカも1台ずつの個別駆動になり、まさに多チャンネル時代に突入しました。

多チャンネル時代のデジタル伝送といば、MADIがその代表の1つでしょう。そしてMADIに強いデバイスメーカーといえば、RME社がその代表の1つということになります。

実際に、Dolby RMUの入出力はRME社製のMADI インターフェイスを用いているようです。そして、DUB1では、Dolby RMUの出力をRME社のADI-6432Rで一旦受け止め、MADI→AES/EBU変換を行っています。すなわち、RME社のADI-6432R が、RMUからの出力を各スピーカのプロセッサであるLAKE LM26に分配して配付するハブの役割を担っています。

また、Dolby RMUを用いない従来の5.1ch、7.1ch再生に対しては、同じくRME社のADI-8QSがAVID社のSystem 5からのモニタ出力をAD変換して各LAKE LM26に分配して配付するハブの役割を担っています。モニタ系統にADやDAを挿入する場合、S/Nの性能が重要となります。特にDUB1のように能率の高いコンプレッション・ドライバをツイータに使用するスピーカの場合、スピーカへの入力信号のS/Nが悪いと、無音時や弱音時にヒスノイズが目立ってしまいます。RME社のADI-8QSは、 ADで117dBA、DAで120dBAという高いS/Nを有しており、さらにアナログとデジタルのリミッターやボリューム・コントロール機能など、モニタ系に使用するAD、DAコンバータとしては有用な機能を多く有しているため、モニタ系に使用するAD/DAとしては最良の選択肢の1つです。

RME社のAD/DA製品はアンチ・エイリアシング用のLPFの特性も良く、fs/2Hzぎりぎりまでフラットな特性を有しているので、音響測定用途にも安心して使用することができる製品です。我々は、DUB1のモニタ調整を始め様々な音響測定にRME社のオーディオI/Fを使用していますが、Dolby本社のスタッフによるDolby RMUを用いた音響測定時のマイクのHAにもRME社のMicstasy Mが使用されていたことから、RME社の信頼性の認識は世界共通だと思いました。

RMUとRME製品
RMUとRME製品
Dolby RMUのAtmos再生環境調整・測定用のHAは、RME Micstasy Mを使用
Dolby RMUのAtmos再生環境調整・測定用のHAは、RME Micstasy Mを使用

東映株式会社 デジタルセンター ポスプロ事業部 室園様のコメント

東映株式会社 デジタルセンター ポスプロ事業部 室園様

DUB1(ダビングステージ1)の機材選定に関して最も重要だったことは、音がもつオリジナルの質感をできるだけ損なわない、高解像度処理のシステムであるということです。AVID社製の製品もそうですが、ハウスクロックジェネレーターからRME社製をはじめとする各種コンバータすべてが、私たちが設計をするうえでこだわりをもって選んだ機材です。また同様にオペレーション性に優れているシステムであることも重要でした。

具体的には、RMEのADI-6432 Rは、MADIからAES/EBUに変換する部分で使っており、最終段のオーディオプロセッサーに信号が送られる直前に位置しています。また、RME ADI-8QSは、AVID社のSystem 5からのモニタ出力をAD変換して各LAKE LM26に入力する部分にて使用しており、共に高いコンバートクオリティを評価してこだわりをもって選定した機材となっています。

ADI-8QS

また、RME ADI-8QSの方も、最終段のオーディオプロセッサーにAES/EBUで入力する前段にて、アナログからAES/EBU(96kHz)の変換として使われております。


中原雅考(なかはらまさたか)プロフィール

中原雅考(なかはらまさたか)

株式会社ソナ 取締役。オンフューチャー株式会社 代表取締役。
東京芸術大学 非常勤講師。音響芸術専門学校 非常勤講師。
AES日本支部 理事(2009-2010支部長)。
博士(芸術工学)。

1995年、九州芸術工科大学大学院博士前期課程修了。
同年、株式会社ソナに入社。以来、数多くのスタジオの音響設計に携わる。特にサラウンド・スタジオに関しては、業界の第一人者として、多くの実績とともに絶大な信頼を得ている。
2006年、オンフューチャー株式会社を設立。ソナでの音響設計業務に加え、音響測定ソフトウェアの開発や音響技術に関するR&D業務等を行っている。
2013年、AESジャパンアウォード受賞。
著書に「サラウンド入門」東京藝大出版会(共著)など。

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